聖書箇所ーローマの信徒への手紙6:1~14 <イースター>
◇「4:わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものになりました。それはキリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです」。
◇バプテスマの原意は「おぼれて死ぬ」。キリストと共に死んで、よみがえりの主と共に「新しい命」を生きるのである。肉体的に死ぬのではなく捧げる事。「13:自分自身を死者の中から生き返った者として神に献げ、また、五体を義のための道具として神に献げなさい」。
◇旧約聖書には供え物の幾通りかの捧げ方があるが、最も神に喜ばれる捧げ方は「全焼の供え物」、つまりすっかり灰になるまで焼き尽くして、人の手に全く残さない捧げ方だ。これを「燔祭」ホロコーストと言う。
◇古代において戦争は主に経済活動だった。食糧難になると他の民族の集落を襲い、食料や資源を略奪した。時には人間も誘拐して奴隷にした。だがイスラエルの戦争は多くの場合「聖戦」と呼ばれる宗教行為であり、異邦人を滅ぼして、神への捧げ物とする「聖絶」いう考えだった。
◇ヨシュア記7章によると、ヨシュアの軍勢はエリコの町を攻め落とし、次にアイという町を攻撃したが、今度は惨敗する。ヨシュアが神になぜですかと問うと、イスラエルの中に不信仰があるからだと指摘される。そこでくじを引くとアカンという男が当たり、聞くと、戦利品の中に貴重品を見つけたので、盗んだとのこと。彼とその一家を処刑して葬り、再びアイを攻めたら、今度は勝利した。
◇完全な聖絶は、実際は確実に実行されたとは言えない。結局は他部族の良い物を取り入れて共存していった。その結果、イスラエルに異教的偶像礼拝の慣習が入り込み、最終的にはそれによって国が亡んだと言える。そういう信仰の不徹底が、人間に避けがたい要素としてある。
◇だがキリストはそれを徹底された。人生のすべてを神に捧げ尽くした。このキリストの死と復活が、私たちの希望だ。私たちの洗礼を完成するのは、キリストの十字架の死を共にすること。自分自身を神に捧げ、自分の手に何も残さない。それを志す時に、罪のゆるしと平安が与えられ、肉体の死に終わらない、永遠のいのちを生きる希望が与えられるのだ。
大村 栄