聖書箇所ーマタイによる福音書2:13~23
◇直前のマタイ2:1~2で、占星術の学者たちが、「2:ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおられますか」と尋ねるのを聞いたヘロデ王は「3:不安を抱いた」。ヨセフも不安だった。み使いがいいなづけのマリアの妊娠を告げ、そして次は生まれた赤ん坊と若妻を連れて遠いエジプトに逃げろと言われる。
◇だがヨセフは不安を抱えながらも、主の天使が「起きて従え」と命ずると、起きて従った。彼はみ子をヘロデの手から守るために用いられ、使命に忠実に生きたが、早く死んだらしい。だがどんな地上の生よりも、神のご用に用いられるということは、はるかに価値のある生き方である。
◇一方のヘロデは救い主に対する不安と拒絶の余り、これを抹殺しようと「16:ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた」。彼は自分の地位を脅かすものは情け容赦なく粛正した。それで彼を憎む者が多く、晩年は護衛なしには歩けないほど恐れていた。
◇自分が神の支配のもとにあることを信じて委ねるなら、神の道具として用いられ、最良の命を生きるのだ。今年は献身によって豊かな日々を生きるものでありたい。中野教会の「新年の祈り」を書いた。
*今年は受洗者・転入者が与えられますように。
*主日礼拝がさらに充実し、出席者が増えますように。
*徳育幼稚園の100周年を期に設備等の改修が祝されますように。
*近年の園児減少傾向が止まりますように。
*教会と幼稚園の新たな伝統と信仰を築いていけますように。
◇最後の「新たな伝統と信仰」については、この教会の生き残りをかけた祈りである。これまでの伝統や慣習を維持するだけでなく、これからは私たち自身が信仰によって、新たな伝統と歴史を築いて行くのだ。
◇招詞はイザヤ43:18-19「初めからのことを思い出すな。昔のことを思いめぐらすな。見よ、新しいことをわたしは行う。今や、それは芽生えている。あなたたちはそれを悟らないのか。わたしは荒れ野に道を敷き/砂漠に大河を流れさせる」。異質なものに戸惑う時も、その背後に神の支配があることを信じたい。それがヨセフに倣う献身である。私たちの小さな献身を用いて、神は大いなる御業をなして下さる。
大村 栄