◇「46:さて、(イエスの故郷、ガリラヤの)カファルナウムに王の役人がいて、その息子が病気であった。47:この人は、イエスがユダヤからガリラヤに来られたと聞き、イエスのもとに行き、カファルナウムまで下って来て息子をいやしてくださるように頼んだ。息子が死にかかっていたからである」。父親はすがる思いで主イエスのもとを訪れた。
◇「49:役人は、「主よ、子供が死なないうちに、おいでください」と言った。50:イエスは言われた。「帰りなさい。あなたの息子は生きる。」その人は、イエスの言われた言葉を信じて帰って行った」。
◇「おいでください」と頼んでいるのに「帰りなさい」と断わられる。しかし役人には、主が「あなたの息子は生きる」と言われことを信じる勇気と信仰があったから、ただ信じて帰って行った。
◇そして「51:僕たちが迎えに来て、その子が生きていることを告げた」。それはちょうど、「53:イエスが「あなたの息子は生きる」と言われたのと同じ時刻であった」。信仰は冒険である。高所に立つような不安があるが、踏み出してみてそこにしっかりと受け止める手があったことを知る。保障がなくても踏み出していくところに信仰がある。
◇以前のNHK朝の連続ドラマ『花子とアン』の主人公が、そのモデル村岡花子が訳したモンゴメリーの小説『赤毛のアン』の引用を借りてこう言った。それは太平洋戦争に突入する時代、未来が見通せない暗い世相の中で、主人公の花子はその状況を「曲がり角」と表現して言った。
◇「自分の未来は、まっすぐに伸びた道のように思えた。いつも先まで、ずっと見通せるような気がしていた。ところが今、曲がり角に来たのよ。曲がり角をまがった先に何があるのかはわからないの。でもきっと一番よいものに違いないと思うの」。
◇復活の主にお会い出来ずに「わたしは決して信じない」(ヨハネ20:25)と言っていたトマスに主が言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである」(20:29)。今日6月30日は今年前半最後の日、一年の折り返し、曲がり角だ。後半はどういう日々になるか見えないから不安も多い。しかし未来を信じる希望を持ちたい。大村 栄