聖書箇所 ヨハネによる福音書1:35~51
◇ヨルダン川のほとりでバプテスマのヨハネの「36:見よ、神の小羊だ」という言葉に動かされ、「37:イエスに従った」二人のうちの一人は、「40:シモン・ペトロの兄弟アンデレ」だった。主イエスは付いてくる彼に、「38:何を求めているのか」と問われた。彼は途惑いつつ、「38:どこに泊まっておられるのですか?」と問い返す。つまり「あなたと一緒にいたい」と願ったのだ。弟子になるとは、一緒にいたいと願うことだ。
◇主イエスの答えは、「39:来なさい。そうすれば分かる」「来たれ、さらば見ん」。付いて来ればこうなるという説明はない。ただ自分で踏み出すよう招いている。来なければ分からない。来ないでいる人たちを、様々な方法でキリストの元に連れて来ることが伝道であると言える。
◇主イエスと同宿したその翌日、アンデレは自分の兄弟シモンに会って、「41:わたしたちはメシア…に出会った」と言って彼を「42:イエスのところに連れて行った」。彼も「来たれ、さらば見ん」と招いたのだ。
◇またフィリポも「43:わたしに従いなさい」と招かれてすぐ主イエスに従う。そして友人ナタナエルのところへ行って、「45:モーセが律法に記し、預言者たちも書いている方に出会った。それはナザレの人で、ヨセフの子イエスだ」と招いた。旧約の律法や預言に精通しているナタナエルは、「46:ナザレから何か良いものが出るだろうか」と反論するが、フィリポはめげずに「46:来て、見なさい」と同じ言葉で導いた。主の召しは伝播する。
◇彼らは何を見るのか。「51:はっきり言っておく。天が開け、神の天使たちが人の子の上に昇り降りするのを、あなたがたは見ることになる」。創世記28章の「ヤコブの夢」を連想する。父と兄をだまして家にいられなくなったヤコブが、荒野で孤独に野宿する時に、天まで達する階段を御使いたちが上り下りしている夢を見た。
◇横の、水平の世界が破れたときに、縦の、神との縦の関係に目が開け、そこを生きる者となる。またシモンは主イエスに、「42:ケファ―「岩」という意味―と呼ぶことにする」と言われた。ケファはギリシア語ではペトロ。その上に教会を建てる基となる自分の将来を知らされた。「来れば分かる」のは、神との関わりが分かり、自分自身が分かることでもあったのだ。(大村 栄)