聖書箇所ーマタイによる福音書12:22~32
◇人々は素晴らしい癒しを行う主イエスを崇めたが、イエスを敵視するファリサイ派の人々は「24:悪霊の頭ベルゼブルの力によらなければ、この者は悪霊を追い出せはしない」と言う。彼らは主イエスは悪霊の力を借りて悪霊を追い出していると非難したのだ。「悪霊」は神の被造物を惑わせ、人間性を歪めて自分らしさを失わせる。キリストは悪霊の力で悪霊と戦っているのではない。「28:神の霊で悪霊を追い出している」と言われる。
◇それによって、「神の国(神の支配)はあなたたちのところに来ているのだ」と告げる。キリストは「29:まず強い人(悪霊の頭)を縛りあげ」て「その家(悪霊の支配していた世界)に押し入って、家財道具(私たち人間)を奪い取る(解放して救う)」。その作業のために主は来られたのだ。
◇その戦いの武器は、剣でも槍でもなく、一本の十字架である。悪霊のはびこる世界の破れを一身に帯び、十字架に死ぬという身代わりの代償行為(贖い)によって、主はこの世に打ち勝たれた。罪に悩む世の悩みを払いの除くではなく、これをご自分が一身に受けとめ、これを背負ったまま十字架に死ぬことによって、悪霊との戦いに勝利されたのだ。
◇この解放と救いのための戦いは教会に託された。その作業は、散らされた羊を安全な群に集めるという羊飼いの仕事に例えられる。「30:わたしに味方しない者はわたしに敵対し、わたしと一緒に集めない者は散らしている」。教会という群に集める作業が、私たちに期待されている。
◇14年前3月11日の東日本大震災では、多くの教会も地震や津波、放射能で被害を受けた。国内外の援助金により、多くの教会の再建に努力した。教会も地域も、再建すべきは建物だけではなかった。放射能汚染の問題もあって、人の心が傷付いていた。その癒やしも必要だった。
◇福島の産物への風評被害の苦悩もあった。福島から離れた牧師たちがいた一方で、震災後に入って行く牧師もいた。被災地の人々と共に生き、神の羊を癒やし、教会という群に集める作業に努力していた。
◇「31b:“霊”に対する冒涜は赦されない」。「霊」は人々を癒やして教会に召集し、教会を再建するする力だ。そうやって被災地の教会は再建されていった。中野教会の聖霊による再建も願い求め、実行したい。 (大村 栄)