聖書箇所ーローマの信徒への手紙6:15~23
◇信ずるとは自分を神に委ねて生きること。洗礼を受けるとはキリストのものとなること。パウロはそれを「奴隷として従う」ことだと言う。ただし従う相手を間違えてはならない。「16:罪に仕える奴隷となって死に至るか、神に従順に仕える奴隷となって義に至るか、どちらかなのです」。
◇「罪に仕える奴隷」の「罪」sin は犯罪とは違う。ギリシア語で「的外れ」という意味だ。的をねらってもズレてしまい、まっすぐ当たらない。人生の的外れは失望を呼び、国の的外れは戦争や貧困の元となる。
◇一方の「義」はどんぴしゃに当たること。英語で righteousnessライチャスネス。良い、まっすぐの right。人間の尺度で言う正義や大義などとは違う。神に認知される正しさが、聖書の言う「義」だ。
◇「罪に仕える」か「神に仕える」か、どちらか一方なのだが、罪に仕える奴隷だったとしたら、そこから自力で這い上がることは出来ない。どうやったら「18:罪から解放され、義に仕えるように」なるのか。
◇「4:わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました」。頭に水をたらす洗礼の起源は、水に沈んで浮び上がることであり、さらにその起源は土葬からの復活。キリストの十字架の死と共に私たちも死に、キリストの復活と共に新しく生まれ直すこと。キリストの死と復活を追体験すること、それが洗礼であり、「義」に仕える道の入り口である。
◇罪に身を置くことは、死への空しい道をたどることにほかならない。肉体の死だけでなく、生きる本当の意味を失い、空しく生きる状態のことである。目に見えるものを追求する欲望、すなわち罪という主人に一生懸命仕えても、その結果与えられるものは死だけだ。
◇人生と歴史の行き着くところはどこか、歴史は何を終極としているか。「21:それらの行き着くところは死にほかならない」とはなりたくない。正しい道を知りたい。
◇「人生で最も大切な日は生まれた日と、生まれた理由が分かった日だ」(マーク・トウェイン)。 The two most important days in your life are the day you were born and the day you find out why. 人生と歴史の進行方向を見定めて、神に仕え、キリストに従ってこそ、生きることに全力を注ぎ込むことができるのだ。
大村 栄