聖書箇所 ヨハネの手紙Ⅱ1~13

◇「1:長老のわたしから、選ばれた婦人とその子たちへ」。「ヨハネの手紙」の著者は福音書の著者ヨハネとは別で、初代教会の長老的指導者だったらしい。そしてこの1章だけの短い手紙の受取人の「選ばれた婦人とその子たち」とは、教会とそこに連なる信徒たちのことを指している。

◇「教会」を婦人にたとえる例は、結婚式で読まれるエフェソ5:24-25などがある。「夫たちよ、キリストが教会を愛し、教会のために御自分をお与えになったように、妻を愛しなさい」。またカルヴァンは「神を父とする者にとって、教会は母である」と例えている。

◇1節後半「真理を知っている人はすべて、あなたがた(「選ばれた婦人」と呼ばれる教会)を愛しています」。「真理」(アレーセイア)を知る者はキリスト者である。「2:真理は永遠にわたしたち(キリスト者)と共にあります」。「3:恵みと憐れみと平和は、真理と愛のうちにわたしたち(キリスト者)と共にあります」。それでは「真理」とは何か。

◇ヨハネ14:6「わたしは道であり、真理であり、命である」。主イエスご自身が真理である。つまり真理とは理論や概念ではなく、人格である。イエス・キリストと人格的に出会って、絆で結ばれ、そこに身を委ねることが出来るのが「真理」を知る者の光栄なのだ。

◇そういうイエス・キリストの「真理」の上に、つまりキリストの人格の上に建てられているのが教会である。そこで私たちはイエスと出会い、それを通して神の愛を知り、愛に包まれる体験をするのである。

◇教会がそういう愛に満ちた場所であるために、長老ヨハネは要望する。「5:婦人よ、あなたにお願いしたいことがあります。…互いに愛し合うということです」。愛し合うことは始めから教会の掟であり、ひとり子をお与えになるほどに世を愛された神の愛にならうことである。長老ヨハネはそのような愛の掟を尊び、真理に生きることを、「5:婦人よ、あなたにお願いしたい」と改めて教会に期待し、委託するのである。

◇実の母と同様、私たちは「母なる教会」を通して自分の生きる場所や方向を自覚する。「母なる教会」の真理を通して「父なる神」の愛を知る。「妻なる教会」の献身を通して「夫なる神」の犠牲的愛を知る。そういう心のかよう人格的な、真理との出会いの起こる中野教会でありたい。 (大村 栄)