聖書箇所ーペトロの手紙一2:11~25(新約P430)

◇「11:愛する人たち、あなたがたに勧めます。いわば旅人であり、仮住まいの身なのですから、魂に戦いを挑む肉の欲を避けなさい。12:また、異教徒の間で立派に生活しなさい」。ペトロは信徒の群を「11:愛する人たち」と呼び、苦しい現実の中で歩むあなた方だが、不信仰な人たちの間で神を恐れる者として、誠実に生きなさいと勧める。

◇やがて「12:訪れの日」が来て、あなたがたに「忠実な良い僕だ。よくやった」(マタイ25章、タラントンの例え)と言って下さる主なる神がおられる。その日までは「13:主のために、すべて人間の立てた制度に従いなさい」。ローマ皇帝や各地の総督ら支配者に服従せよと言う。

◇パウロも「人は皆、上に立つ権威に従うべきです。神に由来しない権威はなく、今ある権威はすべて神によって立てられたものだからです」と言う(ローマ13:1)。地上の権威や支配の背後に神がおられる。本当の権威に従う人は、地上の権威を超えて、「16:自由な人として生活」することが出来る。(M・ルター『キリスト者の自由』)。

◇ペトロは奴隷階級の人々に勧めている。「18:召し使いたち、心からおそれ敬って主人に従いなさい。善良で寛大な主人にだけでなく、無慈悲な主人にもそうしなさい」。ローマでは皇帝ネロによって虐殺されるなど、キリスト者が無慈悲な扱いを受けることが多かった。そんな時代に、「21:キリストもあなたがたのために苦しみを受け、その足跡に続くようにと、模範を残されたからです」との言葉は彼らを慰め、励ましただろう。

◇キリストの十字架と復活を「模範」としていけば、自分たちも勝利に与ることが出来る。主は「23:ののしられてもののしり返さず、苦しめられても人を脅さず、正しくお裁きになる方にお任せになりました」。

◇ののしり返したい私たちの愚かさ、弱さを聖書は「」と呼ぶ。主の苦しみは私たちの罪を帳消しにするためのものだった。「24:十字架にかかって、自らその身にわたしたちの罪を担ってくださいました」。

◇「25:あなたがたは羊のようにさまよっていましたが、今は…戻って来たのです」。私たちのために血を流してまで招いて下さる方を飼い主と仰ぎ、それ以外の何者にも束縛されない真の自由を生きる者でありたい。
  「かいぬしわが主よ、まよう我らを、若草の野ベに導きたまえ」(讃美歌354)
                                大村 栄