聖書箇所-ヨブ記2:1~10

◇ヨブ記は旧約聖書の中で「知恵文学」と呼ばれる。なぜ人はこの世で苦しみ、悩まねばならないのかという、時代や民族を超えてどこにでも生じうるこの問題を取り上げ、解答を求めている。

◇ヨブという架空の人物は、大富豪であり信仰深い人だった。だがサタンが神に、人間は「利益もないのに神を敬う」(1:9)ことはないのだと論争を仕掛ける。その結果、ヨブは財産を失い家族を失ったが、「わたしは裸で母の胎を出た。また裸でかしこに帰ろう。主は与え、主は取られたのだ。主のみ名はほむべきかな」(1:21)と毅然としている。

◇次にサタンは、「皮には皮を、と申します」(2:4)。財産も家族も表面の「皮」でしかない。それを失っても、人間は己が身を守るものだ。だがもっと奥を傷つければきっと神を呪う者となろうというサタンの挑戦に、神はヨブ自身を傷つけることを許可する。その結果ヨブは「8:素焼きのかけらで体中をかきむしる」ほどの苦しみに遇うが「10:わたしたちは、神から幸福をいただいたのだから、不幸もいただこうではないか」と泰然と言う。

◇しかし、ヨブはやがて神を恨み、自らを呪うようになる。「わたしの生まれた日は消えうせよ。男の子をみごもったことを告げた夜も」(3:3)。三人の友人たちはヨブの苦難の理由を因果応報で説得しようとするが、ヨブはそれを納得できない。そこには何の解決もないのだ。彼は友人たちとの対話をやめて直接神に問いかけていく。そして神は答える。

◇「主は嵐の中からヨブに答えて仰せになった。これは何者か。知識もないのに、言葉を重ねて/神の経綸を暗くするとは」(38:1-2)。ヨブは己が苦難の意味を問う余り、「神の経綸」すなわち神の計画を無視していた。そこから逆に神が問い始める。「わたしはお前に尋ねる、わたしに答えてみよ」(38:3)。

◇そして神の創造の大きさ、深さを知らされて驚き、ヨブは人間の知恵で神を把握しようとすることの高慢を思い知らされた。わたしは神に問いただすものではなく、神がわたしに語りかけて下さる。私はただそれを聞き、神の前に静かに額ずき、沈黙するのみだ。

◇詩編46:11「力を捨てよ、知れ/わたしは神。国々にあがめられ、この地であがめられる」。口語訳は「静まって、私こそ神であることを知れ」。  大村 栄