聖書箇所 ローマの信徒への手紙8:28~39

◇「28:神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています」。神の「御計画」は、天地創造後の世界を見て「極めて良かった」(創世記1:31)と神ご自身が喜ばれた状態に戻そうとする「復興計画」だ。

◇従って「28:万事が益となる」の「」は、人間の願いが実現することではなく、神の「御計画」が実現することだ。たとえ人の目には残念に見えても最終的には「これで良かった」と言える事態。これが聖書の語る「」であり、神の「御計画」なのだ。

◇だから私たちはどんな時も、「主に任せよ、汝が身を。主はよろこび助けまさん」(讃美歌291)と歌いつつ、信じて委ねることができる。

◇むしろ苦難を通して、神の助けを確信できる者とされる。詩編119:71「卑しめられたのはわたしのために良いことでした。わたしはあなたの掟を学ぶようになりました」。この「」が神の「御計画」である。

◇それらをふまえて「31:もし神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか。32:わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか」。

◇神の救済計画の動機は、独り子を賜うほどに与え尽くす愛である。これに対して私たちが遠慮する必要はない。これは相手の状況によって動かされる神の慈悲や憐れみではなく、神ご自身の計画なのだ。私たちが神の愛に必死にしがみつくのではなく、神が強くとらえていて下さる。

◇「39:高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです」。何ものも神の愛から私たちを引き離すことはできない。言い換えれば神の愛はどんな時にも私たちを見捨てず、手離さない。そこに最後にして最高の望みを見出すのである。

◇しかも神の「御計画」は、いつも時にかなっているのだ。コヘレトの言葉3:11「神はすべてを時宜にかなうように造られた」。口語訳聖書では伝道の書3:11「神のなされることは皆その時にかなって美しい」。