聖書箇所 ヨハネ福音書14:8~17

◇弟子のフィリポが、もうすぐ天に帰ると言われる主イエスに、「8:主よ、わたしたちに御父をお示しください」と願った。すると主イエスは「9:わたしを見た者は、父を見たのだ」と答えられる。
 
◇「父を見た」と言われるが、旧約聖書では神を見たら死ぬとされていた。ただし特例もある。創世記32章でイサクの息子ヤコブが大きな不安を抱えての帰郷の途中、彼は何者かと格闘した。相手が音を上げて、「27:もう去らせてくれ」と言うが、ヤコブは「いいえ、祝福してくださるまでは離しません」と追いすがる。

◇名を聞かれて「ヤコブです」と答えると、「29:もうヤコブではなく、これからはイスラエルと呼ばれる。お前は神と人と闘って勝ったからだ」。格闘の相手が神だったと知ってヤコブは恐れおののくが、「31:わたしは顔と顔とを合わせて神を見たのに、なお生きている」と感謝した。

◇この格闘は主イエスのゲッセマネの祈りを連想する。ルカ22章。十字架を目前に「44:イエスは苦しみもだえ、いよいよ切に祈られた。汗が血の滴るように地面に落ちた」。この激しい祈りの末、「42:しかし、わたしの願いではなく、御心のままに」と主イエスは神への信頼と服従に到達した。

◇ヤコブが経験した神との格闘も、ゲッセマネでの主イエスの体験と同様に、激しい「祈りの戦い」だったのだ。「神を見たい」との願いは視覚的に見ることでなく、格闘のような祈りを通して、神との交わりを深めるかたちで体験する。

◇「13:わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう。こうして、父は子によって栄光をお受けになる」。キリストの名によって祈る者は、神と一体となる交わりに入れられるのだ。

◇地上を去る主イエスは言われた、「16:わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。17:この方は、真理の霊である」。主イエスはご自分とは「別の弁護者」なる聖霊を遣わして、神と私たちの祈りのとりなしを託された。

◇ゲッセマネの激しい祈りを通して、「御心のままに」との全き信頼と勇気を得られた主イエス。私たちも深い祈りの中で、キリストを通して神との交わりを体験し、真理の霊に導かれて生きる者とされたい。これが三位一体を信じる信仰の豊かさである。