聖書箇所 ヨハネ福音書20:19~29
◇イースターの日の夕方、「19:弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた」。彼らはユダヤ人の暴力を恐れる以上に、主イエスを見捨てて逃げてしまったという後ろめたさに項垂れていた。
◇「19:そこへイエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように(シャローム)」と言われた。20:そう言って、手とわき腹をお見せになった」。槍で刺された傷を見せて、主イエスは自分を見捨てた罪におびえる弟子たちに、安心してよい、と赦しの言葉をかけられたのだ。
◇続いて彼らを派遣する。「21:父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす」。罪を赦された者が、今度は罪を赦す者として送り出される。そして主は息を吹きかけて言う。「22:聖霊を受けなさい。23:だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される」。
◇息=聖霊は天地創造の記事にある(創世記2:7)「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた」。天地創造の最初に人間を生かした力の源、いのちの原点である「命の息」をもう一度吹き入れられるのが、人間の「再創造」である。
◇これが復活の日の夕べになされた仕上げだった。私たちも毎週主の日ごとの礼拝において、復活の仕上げである聖霊による再創造を与えられ、罪赦された者が赦す者として遣わされる派遣を受けるのである。
◇再創造(リクリエーション)というとストレス解消や心身のリフレッシュのために行う娯楽や楽しみを連想する。グループで行うことが多く、チームワークやコミュニケーション能力を向上させる効果がある。
◇「命の息を吹き入れられた」アダムは妻エバを与えられる。彼は創造によって、単体で生きるのでなく、共に生きる相手とのコミュニケーションを身につけた。そして私たちも聖霊を吹き込まれる再創造リクリエーションによって、他者と共に生きるコミュニケーション能力を回復し、他者への共感や信頼を深めていくのだ。
◇主に会わずに復活を信じなかったトマスに言われた、「29:わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は幸いである」。これも信頼と共感と共に、コミュニケーションがあって成り立つ「信じる幸い」なのだ。
大村 栄