聖書箇所ーマタイによる福音書24:36~44
◇主イエスは世の終わりを予告する。それは主イエスの再臨の時であり、最後の審判の時である。それはノアの洪水のように突然来る。のんびり暮らしていたが、「39:洪水が襲って来て一人残らずさらうまで、何も気がつかなかった。人の子(主イエス)が来る場合も、このようである」。
◇今日から始まるアドベントは、緊張を持って再び来る主を待つ時だ。讃美歌Ⅱ58「いずれの日さかえもて 地に現れたもうや 知るを得ず、知るはただ『そなえよ』とのみ言葉」。今は闇の中にあるという自覚と憂いが、世の光なるキリストを来たらせたまえとの祈りを厚くさせる。
◇私が中野教会に赴任して4度目のクリスマスを迎えようとしている。着任の直前に、役員H兄の逝去に愕然とした。他教会から戻ってこられたばかりのM姉も、長老のK兄も体調不良で礼拝欠席せざるを得なくなった。そして教会と幼稚園の会計を担っていた兄弟が、突如役員を辞した。苦しい事態が続いた。
◇幼稚園は今年度から助成金の施設型給付という新制度に移行し、財政にゆとりは見えたが、新制度の事務が倍増した。職員室の雰囲気は良い。預かり保育のスタッフも充実している。しかし園児数は減少している。この4年間に51名、32名、30名、今年度は20名と減っている。
◇来年度の入園は5名あるが、年長の7名が卒園するから、全体で18名になる。園児減少で閉園する幼稚園も近隣に出てきているが、徳育は来年100周年を迎える伝統とキリスト教保育の灯をともし続けたい。そういう悲壮な覚悟の中で、今年のクリスマスを迎えようとしている。
◇暗闇の野原で羊の群れの番をしていた羊飼いたちに、天使らが告げた。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる」。私たちは今この状況の中で、闇の中にも光を賜う神を信じて待つべきだ。改めて、神への信頼と献身を誓うクリスマスでありたい。
◇228番「戦いの日に憩いの日に、み国を慕うあつき祈り、捧げられしはいく千度ぞ。来たらせたまえ、主よ、御国を」。中野教会の100年に捧げられし祈りは幾千度あったことだろう。いま私たちは改めて、その100年の祈りに繋がる群であることを覚えたい。今日は突然だが、礼拝直後に自由祈祷会を行う。危機の中で、祈りによって信仰の姿勢を整えたい。
大村 栄