聖書箇所ーマタイ福音書10:26~33
◇主イエスは12人の弟子を伝道に派遣する際に言われた。「16:わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに羊を送り込むようなものだ。だから、蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい」。さらに「17:会堂で鞭打たれる」など、権力者に迫害される苦難を予告された。
◇しかしそれでも「恐れるな」と3回も励まされている。恐れなくて良い3つの理由がある。第1は「26:覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはない」。周囲に無視され、拒絶されようとも、真実はやがて明らかになる。だから「恐れるな」。
◇「恐れるな」の第2の根拠は、キリスト者は本当に恐れるべき方を知っているということ。「28:体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな」。狼の中に送り込まれる羊が受ける迫害や、それによる殉教の死を連想する。しかしそれは恐れるに足らない。「28:むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい」。
◇古今東西、人間は死後に第二の死があると直感し、それを穏やかに迎えるために、遺族が免罪符の購入や追善供養に励んだ。だが主イエスは言われた、「わたしの父の家には住む所がたくさんある。わたしがそれを用意しに行くのだから」(ヨハネ14章)。キリストが第二の死を超えて天国への道と、そこでの住まいを用意して下さっている。
◇「魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方」は「救うこともできる方」である。そういう方をこそ恐れなさいと言っている。そして「恐れる」とは、奴隷が主人を恐れる恐れではなく、神へのまったき信頼をもって畏れ敬うことだ。
◇そして第3に、神に覚えられているから恐れる必要はないと言う。「29:二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか」。二羽でやっと値が付くような価値の低いものだが、「その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない」。ならば「神のかたちに創造された」(創世記1:27)人間には、なおさら配慮して下さる。だから「恐れるな」。
◇私たちを創造された神は言われる。「恐れるな、わたしはあなたを贖う。あなたはわたしのもの。わたしはあなたの名を呼ぶ」(イザヤ書43:1)。弟子たちは本当に恐れるべき神だけを恐れ、その確信を世界に証ししたのだ。
大村 栄