聖書箇所ーヨハネによる福音書11:46~57
◇ベタニヤ村で主がマルタとマリアの弟ラザロを復活させた時に、「45:イエスのなさったことを目撃したユダヤ人の多くは、イエスを(救世主と)信じた」。だがイエスは危険人物だと密告をする者もおり、ファリサイ派は最高法院(国会)を召集し、イエスを抹殺することを決議した。それを知って主イエスは「54:荒れ野に近い地方」に身をひそめた。
◇「55:さて、ユダヤ人の過越祭が近づいた。多くの人が身を清めるために、過越祭の前に地方からエルサレムへ上った」。過越祭の起源は、昔エジプトに寄留していたイスラエルの民が、そこでの人口増加が疎まれ、抑圧を受けるようになった。民は神に助けを祈り求め、指導者モーセが与えられた。神がエジプト中に大きな災いを起こされた時、イスラエルの家には、ほふった羊の血を塗れ、との神の命令をモーセが民に伝えた。
◇「あなたたちのいる家に塗った血は、あなたたちのしるしとなる。血を見たならば、わたしはあなたたちを過ぎ越す。わたしがエジプトの国を撃つとき、滅ぼす者の災いはあなたたちに及ばない」(出エジプト記12:13)。これによってイスラエルの民は滅びを免れ、エジプトを脱出することが出来た。この神の救いのみ業を記念するのが「過越祭」だ。
◇祭りの期間中は国中のユダヤ人が都に集まる。イエスがそこへ登場することを民は期待した。後に「棕櫚の主日」と呼ばれる安息日に、主イエスは民衆のホサナの歓声の中を、荷物運びに使うロバの子に乗って、静かに登場した。それは改革を求める民衆の期待に反するものだった。
◇その週の金曜日に十字架に掛かった主イエスは、過越の故事のほふられた羊のようだった。エジプトで羊の血を塗った家は災いが過ぎ越していったように、十字架に流されたイエスの血は、ローマ以上に人間をおとしめる滅びからの解放をもたらす、神の愛のしるしだった。
◇明治の文豪二葉亭四迷は、英語の I love you を「おまえのために死ねるよ」と訳した。「愛」という言葉の究極はそこにある。「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」(ヨハネ15:12)。だが、捨てるとは死ぬこととは限らない。命を独占する生き方でなく、他者のために捧げる生き方、それが主イエスの愛の教えに生きることなのだ。
大村 栄